美味しく酒を飲めばよろしい。

夜は短し歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女

わたしも進々堂で待ち合わせデートがしたいわ。とってもとってもへんてこですてき。ああ、いいなあいいなあ。わたしも一緒にお酒を飲みたいなあ。羽貫さんや樋口君に連れられてタダ酒を飲みたいなあ。いやあ、とてもきらめいたよいお酒でした。美味しゅうございました。ふくふくと酔いしれた。文庫版では(ウミノ)チカさんが解説という名の感想絵を描いておられて、それがまた的確な人物像であるから、にくい。樋口くん、わたしのイメージそのまんま。緋鯉を背負った黒髪の乙女も!うれしいうれしいかわいい!

私は太平洋の海水がラムであればよいのにと思うぐらいラムを愛しております。もちろんラム酒をそのまま一壜、朝の牛乳を飲むように腰に手をあてて飲み干してもよいのですが、そういうささやかな夢は心の宝石箱へしまっておくのが慎みというもの。美しく調和のある人生とは、そうした何気ない慎ましさを抜かしては成り立たぬものであろうと思われます。

「ただ生きているだけでよろしい」李白さんはそんなことを言ったように思われました。「美味しく酒を飲めばよろしい。一杯一杯又一杯」「李白さんはお幸せですか」「無論」「それはたいへん嬉しいことです」李白さんは莞爾と笑い、小さく一言囁きました。「夜は短し、歩けよ乙女」

ひよこ豆のように小さき私は、とにかく前を向いて、美しく調和のある人生を目指して、歩いてゆくのであります。

「ハッピーエンドだ。誰もが赤面することうけあいだ」「それでよし!」

確信犯的に狙われて、まんまと引っ掛かる。とかく京都を出すのはずるい。今はなきみゅーずとか、もう。先斗町はうろうろふらふらするところで間違いないし、元田中に住んではるんや、ええなあ とか。だって、やっぱり京都はわたしにとっての移動祝祭日だから。だから、この森見というひとは ずるい。京都という町をなぞるように、読みふけってしまうのだもの。