ホテル・ヴィーナス

『ホテル・ヴィ−ナス』を映画館に観に行った。
韓国語の音の響きがまったく無理がなくて、全然気にならなくて 字幕をさらっと読めて、めちゃくちゃ泣けてちょっとくさくて照れてすこし慎吾いらないんじゃ・・・?と思った映画でした。
名前に意味があって。しがらみがあって。与えられた名前に苦しんで一皮向けて。ひとりひとりのエピソードにいちいち泣けて。
ここではお互いをどうでもいい名前で呼び合う。名前に意味があったり、希望が込められたりすると、人はその名前のせいで絶望するから。ここの連中はそれをよく知っている。
はずなのに名前で苦しむの。

はじけるように笑うから、ソーダは「ソーダ」と呼ばれていた。
そんな名前で、彼女を呼んじゃいけなかった。
はじけた笑顔は、はじけて消えたんだ。

でもソーダのはじける笑顔っていうのもソーダの一部だし。ボウイの子ども扱いするな!という悲痛な叫びだって子供っぽい彼を愛する人たちがいるってことを知らなかった哀しさだし。バカな子だよ。
なんちゅーか、ハッピーエンドもいいもんだなあと思わされる映画だった。
アネモネが彼女の墓で再生してたね。空が青かったね。ほんとうに。