本をよむならいまだ

ずいぶんと前に手に入れていたのだけれども読み始めるきっかけを探していた。「絵本を抱えて 部屋のすみへ」江國香織 旅のお友達に選んだの。たぶん「いま」であってたみたい。わたしは確信する。

いきたいところにいけるのなら いまいるところには いないでしょう いまいるところを でられなきゃ いきたいところは いけないの(マザーグース
「ここではないどこか」の対極にあるのは、あくまでも「居心地のいいここ」である。だからこそでていくのに意味があるのだし、帰るのにもまた意味があるのだ。(中略)「ここではないどこか」というのは決して、「ここよりいいどこか」ではないのである。(中略)そうしてそれでいて、「ここではないどこか」は、「ここよりわるいどこか」でも、無論決してないのである。そのことに、私はほんとうに感動する。

ああ 本当に感動する。



作品から何かを得ようとする態度はあまりわたしの好むところではない(作品はただ純粋に作品であるべきであって教科書にしちゃうのは失礼なはなし)(もちろん結果的にバイブルとなるものと出会えるのは幸福なことだけれど最初からそれを目当てにというのは嫌いだ)だからこうやって私側の都合で純粋で豊かな文章を切り取るのはとても乱暴なやりかただとは思う。だからすこしの罪悪感で胸を痛めつつも。けれども絡んでいた糸がするりときれいにはいかなくても(何せ不器用だから)やわらかにゆるんで(解けなくてもいいと思うからちょうど良い)心地よいと思うから遺しておく。