わたしのこと

髪の毛真っ黒で色が白くて唇があかーくて ふわっとしていていいね
と言われたのだった。お友達たちのきれいに色の入ったさらさらとした髪の毛やばちばちと音をたてそうな長いまつげや色素の薄い茶色い瞳やすらっとした身体を、その大人っぽさをうらやむことに夢中でそんなこと思いつきもしなかった。シャープさのかけらのないぼんやりとした小さな自分の、常に「女の子」*1然とした存在感がときにひどく情けなくて。わたしはいつかしっかりとした おんなのひと になりたい。なれるのかしら?ってみじめな気持ちでうつむいたりしてた。
お前には感謝の気持ちがないのかって神父さまにおこられるかしら?悔いています。自分の持ち物に気付かず、それを活かそうともしなかったとロミ男さまなら言うかしら?(しつこいほどにロミジュリシンドローム。ヤスくんの結婚を考えている彼女はこばりょちゃんだったら良いのに。と実は本気で)

MUSICA (ムジカ) 2009年 06月号 [雑誌]

MUSICA (ムジカ) 2009年 06月号 [雑誌]

林檎ちゃんのインタを読んで。女は40キロ台でなければいけないとか30代までに結婚しなくてはいけないとか読むのはベストセラー本だけ とか。(それは極端な例文だとは思ったけれど)主体がないのは悲しいことですよねーって。それで自分のことのように受け止めてしょぼんと落ち込んだのだけれど胸にうずまくのは違和感。その正体はというと「女は40キロ台でなければいけない」ではなくて「わたしは40キロ台でなくてはならない」という思いであった。わたしは全部が全部自分主体すぎるのだった。いつも大それたことを夢見てしまう。ひとにやさしくできたら。そして相も変わらず林檎ちゃんは美しいのであった。
昨日お友達のおうちに無農薬のレタスをお届けしたら美味しいお茶が出てきて畳のお部屋で寝転びながらだらだらとたくさんお話をした。まるで明日はお休みの日です!といった風に。其処でなにかしら頑張っている状態が自然界の生き物の自然な姿なんだと教えてもらった。頑張って生きるのって不自然だと信じていたけれどそれは間違いで自分が頑張っていないのならば他のひとがその分頑張ってくれているのだろうと。それは思い当たることがありすぎでただただ感謝をするのです。

*1:!!!