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猫を抱いて象と泳ぐ

猫を抱いて象と泳ぐ

キングを追い詰めるための最善の道筋をたどれる者が、同時にその道筋が描く軌跡の美しさを、正しく味わっているとは限らない。駒の動きに隠された暗号から、バイオリンの音色を聴き取り、虹の配色を見出だし、どんな天才も言葉にできなかった哲学を読み取る能力は、ゲームに勝つための能力とはまた別物である。そして男にはそれがあった。一回戦であっさり敗退しながら、ライバルたちが指す一手一手の中に一瞬の光を発見し、試合会場の片隅にたたずんで誰よりも深く心打たれている、そんなプレーヤーだった。

「何となく駒を動かしちゃいかん。いいか。よく考えるんだ。あきらめず、粘り強く、もう駄目だと思ったところから更に、考えて考え抜く。それが大事だ。偶然は絶対に味方してくれない。考えるのをやめるのは負ける時だ。さあ、もう一度考え直してごらん」と、言った。そして最後に、「慌てるな、坊や」と付け加えるのを忘れなかった。

静謐な思慮深さに寄り添う悲しみをおびた柔らかな幸福。ずっと。美しい音の中にいるようだった。なんて美しい小説なんでしょう。健気でどきりとする痛々しさと優しさと醜さとお菓子と日向の匂い。