勘違いする能力

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

くすくすしちゃった。読書歴詐称の知的生活のくだりとか。本スキーあるある。だわ。本棚は「理想我」
どういうひとに見られたいのか、いつかどういうひとになりたいのか本棚は教えてくれる。わたしの本棚に向き合えば一番上の段には大好きな絵本たち。金曜日の砂糖ちゃんとかリサガスとか蜷川実花の写真集とか楠本まきとか中村明日美子の漫画、野ばらちゃんの本。2段目には恋月さんや三浦さんの人形写真集、長野まゆみ青い鳥文庫とあとは夜想アトリエサードのトーキングヘッズ叢書。3段目は文庫本。夢野久作とか三島とか寺山とか澁澤とか、そういう。わかりやすい。4段目は美容本。山咲千里のだから私は太らないは面だしして自分を戒める。
そして九鬼周造がわたしを攻め立てるしドグラマグラも途中で投げ出したままもう数年たっている。

『いつの日かこの本を死活的に必要とする人間になりたい』という願望が僕たちを書物に向かわせる。

それからまんまとひっかかったのが

無意味な偶然的音響を『自分を呼ぶ声』だと聞き間違えた人間によって世界は意味を持ち始める。そういうことだと思うのです。世界を意味で満たし、世界に新たな人間的価値を創出するのは、人間にのみ備わった、このどのようなものをも自分宛ての贈り物だと勘違いできる能力ではないのか。

わたし、やたらと運命かんじるの。これも勘違いする能力高いってことでいいのかしら?
京極さんがなんか言ってたなあ。なんだったかなあ。勝手に運命だと思うバカ とかそんな言い方。京極堂が言ってた。